1995年の夏、僕は友人2人と神戸に向かう車の中にいました。
その年の1月17日、阪神淡路大震災があり、僕たちの共通の友人が被災しました。
その友人は、震災の発生する1年前までは関東にいたのですが、地震発生時には神戸市長田区に住んでいました。
地震が発生した後、その友人が安否をなかなか知ることが出来ず、”住んでいたアパートは半壊したが本人は大丈夫だった”と言うことを人づてに聞いたのは、地震が発生して4〜5日後のことでした。
その友人から半壊したアパートに代わる新居が決まったことを連絡するはがきが来たのは、その年の7月半ばでした。
その連絡を受け、僕たち悪友は、『これは是非とも新居に押し掛け、宴会をしなければいけない』と勝手な予定を立て、8月の夏休みを利用し神戸へ向かったのでした。
車が神戸に近くなるにつれ、窓の外に震災の爪痕が見受けられるようになってきました。
僕たちは、言葉を失い、車を走らせていました。
渋滞の中で信号待ちとなった車の中から、僕はその光景を目にしました。
道路脇の空き地。多分そこはあの日までは普通の住宅が建っていた場所。
その空き地の真ん中に花束をそっと置く少女。その脇には両親と思われる自分と同い年ぐらいの男女。その親子と思われる3人は静かに手を合わせていました。多分、震災の時、その場所で3人のごく身近な誰かが亡くなられたのであろうことは、容易に想像することが出来ました。
時刻は夕暮れ時で、沈みかけた夕日の斜光線が3人の頬を赤く染めていました。
それは、涙が出るほど哀しく美しい光景でした。しかし、僕には出来ませんでした。
勝手にレンズを向けシャッターを切るのは、その3人に対し失礼なことだし、写真を撮らせてくださいと声をかけるのも...
結局僕がしたのは、その光景を目に焼き付けるのみでした。
1995年 夏。
それが僕にとって撮りたくても撮れなかった1枚の写真です。
阪神大震災で亡くなられた大勢の方々のご冥福をお祈りします。
それから、震災で受けた様々なショックから未だに立ち直れていない多くの方々が、心からの笑顔が出せる日が早く来ることを、願っています。